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MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

少ハリ18,19,20話感想

 数話溜めていた少年ハリウッドを視聴。

 18話は、シュンにフィーチャーした回。世界的なミュージシャンになろうと思って新生少年ハリウッドに入ったはずなのに、ファンが増えてきて調子に乗り、「こんなものかな」と思うようになったシュン。ダンサーになろうとして元祖少年ハリウッドに入ったものの、少年ハリウッド解散後に芸能界を引退し、ケーキ屋へと転職したレン。「少年ハリウッド」で度々描かれてきた、「夢の上書き」が丁寧に描かれていく。
 少ハリで描かれている「夢の上書き」には2つのベクトルがある。ひとつは、アイドルとして成長すること。もうひとつは、アイドルとしての時間を過ごしたあとのこと。もとはアイドルになろうと思ってもいなかった人たちが寄せ集められ、アイドルとして「限りない夢」を抱くようになる。一方で、アイドルとして「限りある時」を過ごし終えた人たちが、それぞれの人生を歩んでいく。「限りない夢 抱け 限りある時が味方さ」という「永遠never ever」の出だしは、少ハリで描かれているアイドルのすべて。
 少ハリは、その「限りある時」の渦中にいる新生の輝きへの讃歌だけれども、輝き終えた人たちが、それぞれに歩み始める人生に対する讃歌でもある。そこは、小説の「少年ハリウッド」や、その原型となった小説「原宿ガール」との大きな違いだ。
 少ハリでは、いろいろな人物が、永遠にアイドルでいることはできない、と言う。このときにアイドルが意味するものは、ステージに立って、歌って、踊って、歓声を浴びる、そういう人たちだ。でも、元祖トミーは新生トミーのアイドルであり続け、レンはステージに立ったときに似た歓びをケーキ屋という仕事に見出す。ステージを下りても、彼らはアイドルなのではないかと思うとき、アイドルという概念が揺らいでいく。

 19話は、作中劇。トミーが出演した刑事ドラマ、渡り鳥コップの放映を、少ハリの面々が視聴する回だ。エアボーイズ公演や、音楽番組のように、まるっと1話使って終わるのかと思いきや、それを視聴する少ハリもきちんと登場した。玉川砂記子や樫井笙人といった、吹き替えでの活躍も多い、実力のある役者をしれっと使ってくるのが痺れます。林哲司によるテーマ曲も、いかにも刑事ドラマといった風で、とても面白かった。
 通常は、ひとつの事件が起こって解決するまでを描く刑事ドラマだが、渡り鳥コップでは、事件が起こったとしても、すんなり解決は描かれず、もやもやしたままドラマが終わってしまう。そのまま解決が描かれないのかと思いきや、数年後の続編で、唐突に事件の解決が描かれることもある。
 少ハリが今後「もやもや」する展開になることを予告しているのだとしたら、本当に「もやもや」しそうだから、あまり嬉しくないかもしれない。

 20話は、センターが変わる回。アイドルは慣れてはいけない、本当は、パフォーマンスの1回1回が、そのとき限りのものなのに、慣れてしまうと、そのことを忘れてしまう。メンバーやファンが慣れることは、アイドルの寿命を縮めることになる。プロデューサーとして、彼らが慣れてしまうことから守らなければならない、というシャチョウの思いが吐露される。アイドルという存在に対して、いつでも、一番大きな夢を純粋に抱いているのは、このシャチョウだ。

 こうやって感想を書いてみると、自分が、少ハリに対しては、キャラ萌えとか全然感じてない、ということがよく分かる。