MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

少年ハリウッド21,22,23話感想

 作業しながら見ていたので、私が散漫だったのかも分かりませんが、いまひとつ精彩を欠くなーという印象。

21話
 センターとなった颯の葛藤。自分がセンターになったことを快く思っていないファンがいたり、メディアの取材を受け、自分の言葉がまるで反映されない記事を書かれたり。求められている自分と、本来の自分が乖離しているように感じてしまう。その颯に、シャチョウは「本来の自分」とは何か問い、アイドルとは「生贄」のようなものだと諭す。アイドルに対して、様々な人が、それぞれに「こうあってほしい」と願う。それを受け入れ、乗り越えるためには、ステージですべてを出すしかないのだ、と。
 アイドルならずとも、自分が思う自分と、周囲から求められる自分が乖離してしまうということは、ままある。しかし、その解決が「すべてを出す」というのは、あまり納得できない。おまけに、メンバーが舞台上で作ったハードルを超えることで、颯が腑に落ちてしまうという展開にも、まるで説得力が感じられず。
 人はアイドルに生まれるのではない、アイドルになるのだ。実在は本質に先立つ。
 この作品の面白さは、そのアイドルとしての本質はなにか、ということをめぐって、アイドルの概念が揺らぎ続けること。特に、永遠であることと、いま一瞬を生きることの関係をめぐる揺らぎは、すごく分かる。そして、その、揺らぎ続け、矛盾を孕んでいるアイドルの本質を、メンバーがそれぞれの葛藤を通して内面化していくことが、この作品の面白さ。
 だから、今すべてを出すことで、生贄が神になるときがくるだろうか、という颯の問いの言わんとすることは分かる。しかし、それって、この展開で、ジャンプひとつで乗り越えられる葛藤なのだろうか。

22話。
 希星がサンドイッチ屋のお姉さんに恋する話。
 瞬の学校での友達とのやりとりで、彼女は要らない、というくだり。それから、シャチョウとトマ塩ラーメンをめぐるエピソードと、本筋との絡み。大葉が好きではないのに、お姉さんに薦められて大葉入りのサンドイッチを購入したり、飲めないブラックコーヒーを飲んでみたり。
 記憶に残り続けること、忘れてしまうこと。そのときの出来事が、忘れられなくても、忘れてしまっても、その日を生きたことに変わりはない、という話。
 せっかく伏線を張ったんだから、もうちょっときちんと回収しても良いように思うんだけれども。

23話
 初代少年ハリウッドのメンバーだったシーマが、ハリウッド東京を買い取りたいとシャチョウに申し出る。ハリウッド東京を引き取り、劇場やメンバーにテコ入れして、さらに売り出すことを提案する。仕事の幅が広がることを喜ばしく思う一方で、変化に対して不安に思うメンバーたち。
 変わっていくことに対する不安と、変わらずにいることに対する不安。両者の対立が、どう決着するか。それが、ここから2期終了までの眼目になっていきそう。
 声優の芝居が全体的につまらない。もともと技術面や経験面でやや不安な若手ばかりの作品で、中堅と呼べるメンバーは、よりによって浪川大輔。あまり全体の芝居を纏めるタイプの人ではない。正直、ここまでの芝居も失笑レベルのものがオンパレードだったのですが、勢いで乗り切ってきたところはある。ところが、ここにきて、21,22話は脚本は精彩を欠くし、23話はシリアス展開ということで、芝居の勢いの失速感が否めない。初代メンバーには保志総一郎鳥海浩輔という中堅の役者がいるにはいるけれど、キャラがあまり掴みきれていない感がある。がたがたぼろぼろ。ディレクションが甘いのかしらん。

 ってな感じでした。2期全体の筋として、新生は初代と違う選択をするんだよっていう展開になるんでしょうけれども、それが個々のエピソードとどう結びつくかっていう点では、どうなるかなぁというところ。これで、今まで積み上げてきたエピソードをあまり活かさずに、違う選択をしました~っていうオチにならないといいなー。