MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

平成中村座 昼の部

 平成中村座の昼の部へ。浅草寺の境内に仮設のテント小屋が出現していて、外から見るとあまり格好の良いものではないのだけれど、なかは超面白いし、立派だった。白柿黒の定式幕、天井から吊り下げられた大きな提灯、2階の正面のお大尽席の背景画、お手洗いも仮設なのに音姫的な装置がついていたりと、ひとつひとつが面白かった。

 外からの音もけっこう入ってくるので、あの感じだと、音が散ってしまいそうなものだが、台詞がきちんと聞こえるのは凄いなぁと思った。

 演目は『双蝶々曲輪日記』の「角力場」、『勧進帳』、『魚屋宗五郎』。

 このみっつのなかでは『魚屋宗五郎』が一番良かったのかな。黙阿弥の台詞が巧み。それから、中盤、宗五郎(中村勘九郎)が、おはま(中村七之助)に酒をねだって、酔っぱらった挙句、屋敷で暴れまわるシーンが面白い。ただ、中盤のこのシーンが、序盤の妹の死を聞いて悲しむくだりと、ラストの「悪人滅び善人栄え~」っていうくだりの切実さから切断されているような印象があった。

 「悪人滅び善人栄え」という台詞が説得力を持つためには、宗五郎が善人である、ということに説得力がないといけない。……と思うんだけれども、今日の宗五郎は善人然としていなかったと思うのだ。悪人か善人かで言ったら、善人。だけど、いきなり「悪人滅び善人栄え」って言われちゃうと、これって善悪を描いた作品だったかしらん、と妙な違和感を覚える。それは、そういうものなのだろうか。それとも、こういう作品では江戸庶民の宗五郎が善人であることは、前提なんだろうか。それとも、作品を通しでみたら、もっと違う宗五郎像が浮かび上がってくるのだろうか。

 妹を屋敷に妾にやって得た金で、自分たち家族は幸せに暮らすことができた、と素面のときに宗五郎は語る。そう語るシーンは2度あって、ひとつは序盤に妹の死の報せを聞いたとき、もうひとつは屋敷で酔いが醒めたとき。

 それから、なんとなく印象に残った台詞で、酔って怒りを露わにするくだりで、宗五郎が妹のことを「人間」だ、という台詞がある。「人間」っていう言葉はいつできたのかきちんと調べてはいないのだけれども、江戸庶民が言う言葉としては不自然な感じで、かなり耳に残る。

 「悪人滅び善人栄え」っていう台詞を聞いてから思い返すと、この宗五郎が純朴で素直な人物であることを端的に示すふたつの台詞が、素面のときも、酔ったときも、宗五郎は善人っていうことを示しているようにも思える。でも、少なくとも、舞台のうえで、そのシーンが演じられているときは、その台詞がそういうニュアンスを持つものだとは感じられなかった。

 「悪人滅び善人栄え」っていう台詞のカタルシスよりも、魚屋宗五郎を演じる手順の段取りで笑いをとるのが優先ってところなんだろうか。笑えるのは笑えたので、それはそれでありなのかな。

 鳶吉五郎の中村国生、おなぎの坂東新悟、おしげの中村児太郎といった若手の役者さんたちがフレッシュで良かった。この3人は推せる。推せるってなんだ。

勧進帳』は、弁慶が中村橋之助、富樫が中村勘九郎源義経中村七之助という配役。これは、うーん。弁慶が超ノリノリで勢いでがあって、富樫なんで突き飛ばして関所突破すればいいのに、というくらい、弁慶と富樫で勢いの差があった気がする。富樫は、一行の正体を見破ったうえで、弁慶の行動に心を動かされ、一行を通し、見送ってるはずなんだけど……。こんなに伝わらないものでしたっけ。どっかで私は眠っていたのだろうかと疑いたくなるくらい、あっさり。

『双蝶々曲輪日記』の「角力場」は、ぶっちゃけると、何が面白いのかよく分からなかったんだよなぁ。

 締まりのない感想になってしまった。