MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

ままごと『わが星』

6/3
@三鷹市芸術文化センター 星のホール

 ままごとの『わが星』は、2009年の初演時にみている。2011年の再演はみていないので、今回の再々演で6年ぶり。

 正直に言うと、6年前に観たときのことを克明には覚えていない。けれども、時報のリズムのなかに放り込まれたとき、あのときの昂ぶりが蘇ってきて、すんなりと身を委ねることができた。90分間があっというまだった。なんとなく、初演のときよりも純度が増して、浮遊感が強くなったような印象があった。

 地球の一生と少女の一生が重ね合わせられ、宇宙規模の話と一家の団欒の話を行きつ戻りつしていく。そして、地球が星としての一生を終えるとき、光速を超えてやってきた少年は、少女が眠り(=死)に就くのを見守る。

 ワイルダーの『わが町』がこの作品の重要なベースになってはいるものの、『わが星』が『わが町』と同様に、単に「日常の尊さ」を描いている作品として捉えてしまうと、途端に稚拙なものに見えてしまう。登場人物の性格や行動を細部まで描いているとは言えないし、行動も単調だし。

 しかし、尊い日常は、あるとき終焉を迎える。終焉が必ず訪れるという醒めた態度と、ボーイミーツガールのロマンチシズムの共存という点にフォーカスを当てると、この作品は、とても面白い作品だと思う。

 今回、『わが星』を観て、一番に思ったことは『ほしのこえ』の逆バージョンだな、ということだった。『ほしのこえ』は、言うまでもなく、セカイ系の代表作である。この作品では、少女が宇宙へと旅立ち、少年が地球に残される。宇宙という広大な空間に隔てられた彼らは、最終的にはすれ違ってしまう。それに対して、『わが星』では、少年と少女が宇宙を超えて出会い、少年が少女を承認する。そこに注目すれば、この作品はハッピーエンドだ。

 初演された2009年という時期は、私の感覚だとセカイ系ブームが終わりを迎えつつある時期だったと思う。『ほしのこえ』を始めとする初期の作品は、主人公が彼女と世界のどちらを救うかを迫られ、結果、誰も幸せにならない、という悲観的な終末論を提示する作品が多いようなイメージがある。しかし、『わが星』では、少年は、地球と少女が終末を迎えようとする瞬間に辛うじて間に合い、なんら選択をすることもなく、終焉を見守ることしかできない。

 『ほしのこえ』と『わが星』は、ゼロ年代セカイ系ブームの最初と最後を象徴するような作品だなと、初演から6年経って、感慨深く観た。

 セカイ系ブームの文脈と結び付けて書いてしまったけれども、6年という時間を経ても、作品が古びたという印象はない。音楽も脚本も俳優陣も、瑞々しさに溢れていた。やがて終焉が訪れることを了解しているからこそ、いま、この1秒を生きていることが、美しいことであり、喜ばしいことなのだ。