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ちょっと書き留めたかったことなど。

ぜんハリ 『歌だ! 踊りだ! 捜査だ! 渡り鳥コップシーズン1 第3話 4話もチラりのもやもや公演』(本編の感想)

ZEN THE HOLLYWOOD(ぜんハリ)
6/8-14
@グランデ渋谷

 「歌だ! 踊りだ! 捜査だ! 渡り鳥コップシーズン1 第3話 4話もチラりのもやもや公演」と題された本公演は、4月下旬に行われた1週間公演の再演。

 書きたいことがいろいろあるので、この記事では芝居パートの感想を、私が観た4公演分、まとめてひとつの記事にします。劇中と、公演後のライブパートについての記録は別の記事にて。

 私は月曜、水曜、日曜の昼夜公演の、計4回の公演を観た。当初は月曜は行かないつもりでいた。純粋に観劇するならば、同じ公演に何度も足を運ぶことはないので、完成度の上がる公演期間の後半にふらっと行くことが多い。けれども、この公演期間の直前にAKBの総選挙があり、中継をぼんやり眺めながら、アイドルはどれだけ「今」を共有するかだなと思ったので、考え直して、初日を買い足した。この公演で新曲「バージンマジック」が披露されることは事前に告知されていたし、初日初披露とあれば、ということで。

 この公演期間中、2日目の6月9日に、具体的な時期は未定としつつも、三浦くんの卒業が発表された。このことで、「再演」としつつも、作品から受ける印象は初演とは大きく異なるものになった。また、この公演期間中、三浦くんの卒業発表前後でも、かなり印象は変わったように思う。

 脚本については、物語の進行に関わる台詞の変更は、一点を除いては、少なくとも私が見ていて「あれ?」と思うものはなかった。この変更点については、三浦くんの卒業発表も少なからず絡んでいるのではと思っている。

 そこで、まずはこの脚本上の変更点について触れる。そのうえで、私が観た4公演それぞれの印象について記していこう。

1. 脚本上の変更点について

 まずは、初演時の自分の感想を引用しておく。

『渡り鳥コップ』も、また、(『エアボーイズ』と同様)ままならない状態に置かれる若者たちが描かれる。警視庁に新設された探偵課への配属を喜んだのも束の間のこと、彼らは囚人のような格好をさせられ、軟禁状態に置かれてしまう。この、ままならなさは、『エアボーイズ』と相通ずるところがある。
 物語の終盤、ボンボン刑事を送り出し、残りの6人は部屋に残ることを選択する。族刑事は「フリルに幸せになる方法を教えてもらった」と言う。その方法とは、「今を幸せだと思うこと」。動けない状態にいるからこそ、動きたいと願う希望。そして想像のなかではどこへでも行けるのに、現実はそうではないという切なさ。その希望と切なさが、明日を夢みるという幸せの原動力になる。それは、まさに、『エアボーイズ』で描かれた「夢の上書き」そのもの。
 上の引用からも分かる通り、初演時に示されたテーマは、ままらない状況下に置かれても、いまを幸せだと思うこと、である。

 しかし、再演において、このテーマは薄れている。それを端的に示すのが、『籠の中のI love you』を歌う手前、自分たちが軟禁状態に置かれたことに気が付いた彼らの台詞が変更されたこと。

 大まかな台詞の流れをまとめよう。初演時では、以下のようになっていた。

フリル「もう外に出られないと分かると、みんなといることが悲しいことに変わってしまった」
短パン「俺たちは、明日に生かされていたのかな」
ボンボン「今が楽しくなきゃ、意味ないのにね」

 これが、再演時には、大筋で、以下のように変更されていた。

フリル「もう外に出られないと分かると、みんなといることが悲しいことに変わってしまった」
族「こうなることもなにも知らずに、毎日毎日、バカなことして、いっぱい笑ったな」
フリル「僕もそんな幸せな気分がずっと続くと思ってた。明日もずっと」
短パン「明日か……。俺たちは、まだ見たことのない明日に生かされていたのかな」
ボンボン「明日じゃなくて、今が楽しくなきゃ、意味ないのにね」

 初演時、短パンの「俺たちは、明日に生かされていたのかな」は、たっぷりと言っていたのだけれども、台詞が腑に落ちておらず、浮いていた。このことは、初演時に拙ブログでも触れたとおり。再演では、上記のような変更を加え、テンポよく会話を進めることで、会話の流れが整理されたように見える。

 再演において追加された族、そしてフリルの台詞は、今が幸せであることを前提とする台詞だ。この台詞によって、彼らは、その幸せが続くと思っていた、ということが明示された。このことで、「ままならない状況下に置かれても、今を幸せだと思うこと」というテーマにおける、「ままならない状況」というのが、単に軟禁状態に置かれたという状況のみを示すのではなく、ずっと続くと思っていた今の幸せに終わりが訪れることが判明するという状況でもあることをも示すことになった。

 そして、それを受ける短パンの「俺たちは、まだ見たことのない明日に生かされていたのかな」という台詞のなかの「明日」が意味するのは、今日と同じ楽しさが明日も続くという期待、と言い換えても良いだろう。

 再演時の脚本を前提に、初演の台詞の流れを再確認すると、たしかに、その意味にもとれる。しかし、初演の流れだけで分からなかったのは、私の読解力不足かな。

 ここで付け加えられた「今日の幸せが明日も続くと思っていた」というやりとりが、この再演において、大きな意味を持つことは明らかである。

 卒業を発表した三浦くんが演じるボンボンは、残りの6人を置いて軟禁部屋を去る。ぜんハリと7人の刑事の置かれた状況が酷似しているのは、偶然ではないだろう。『少年ハリウッド』では、少年ハリウッドと『エアボーイズ』で描かれたCAたちは重ね合わせられていた。このことを考慮すれば、『渡り鳥』で描かれた刑事たちの状況が、ぜんハリの置かれた状況を受けてのものであることを否定することはできない。

 作品の終盤、「立つ鳥は跡を濁さず」というボンボンの台詞は、初演の際には、ボンボンが将来「渡り鳥コップ」になることを暗示するヒントにすぎなかった。しかし、再演において、この台詞はぜんハリにおける三浦くんの言葉のように思わずにはいられない。

 つまり、『渡り鳥』における脚本の変更点は、初演の台詞を整理するだけでなく、、三浦くんの卒業発表を受けて、役者とキャラクターをより強固にシンクロナイズさせていくための措置であった、ということだ。これは、少年ハリウッドプロジェクトにおける作中劇のあり方として、一貫性がある。

2. 再演の各公演について

(1) 6月8日(1日目・緑の日)

 三浦くんの卒業が発表される前の公演だったけれども、初演とはかなり印象の違う公演になっていた。この公演で印象的だったのは、演技の質が上がったこと。基礎的なことだけれども、発声が安定した。それから、舞台度胸がついた。

 また、ステージ上で、自分が何ができるか、常に考えている様子が見受けられた。これは、演出方針の変更によるところが大きいのではないかな、と思う。

 この公演をみてすぐに思ったのは、もやもや感が薄まったな、ということだった。

 初演のときは、やりにくそうな話をどうやれば良いのか、作品の軸が見えていなかった。ストーリーがもやもや、というよりは、役者が舞台上でもやもやしていた。けれども、演出方針が変更されることで、だいぶやりやすくなっていた感がある。

 この作品のやりにくいところは、群像劇という体裁をとっていることだ。一般的な群像劇は、様々な人間を描くとは言いつつも、すべての登場人物が常に一同に会しているわけではなく、場面転換はもちろんある。それに、様々な人物を描きつつも、観客が感情移入していく入口になる人物が存在することが多い。バルザックとか、そうでしょう。

 しかし、『渡り鳥』は、それをしなかった。初演の際には、『少年ハリウッド』作中ドラマ『渡り鳥コップ』シリーズの一作品として、ドラマ内の謎とリンクしている、ということがとりわけ強調されていた。そのなかで提示されていた主要な謎のひとつが、7人の刑事のうち「将来、渡り鳥コップになる者は誰か」ということだった。これによって、本来は主役として扱われるべきキャラクターが、作中で主人公として振る舞うことができない、というハンデを抱えることになってしまった。

 おまけにこの作品は密室劇なので、一部を除き、舞台上には常に7人の人物が存在することになる。話の進行に大きく関連しない人物までも舞台に残るので、とにかく他の人の台詞を聞いている時間が長くなり、舞台上でなにかと手持無沙汰になってしまう。椅子とかバランスボールとかステッパーとか使って誤魔化しているけれども、話を黙って聞いている時間がやたら長い。それでも、主人公が明確であれば、舞台上でメリハリの出しようもあるのだが、誰が主人公か明示できないので、舞台全体がのっぺりしてしまう。

 この作品は、結果的には、高貴な生まれの人がなんらかの因縁で親に捨てられ、身分の低い人たちに助けられ、最終的には脱出し、復讐を遂げる、という貴種流離譚の一種に帰結する。しかし、『渡り鳥』は、刑事7人が既に一同に会した状態で物語がスタートするので、起承転結の「起」の部分が存在しない。

 というわけで、『渡り鳥』の脚本の、「もやもや」に真面目に取り組もうとすると、どう芝居を組み立てれば良いのやら、という感じだったと思う。そして、初演のときは、役者はそのどうしようもなさに付き合わされている感が非常に強かった。

 しかし、再演においては、そのどうしようもなさを無理に表現しようとしなかった。それは、初演時には、twitter等で「もやもや」と頻繁に言っていたけれども、今回はほとんど触れられなかったことにも現れているように思う。再演では、「もやもや」を表現し、『渡り鳥』に関する謎を提示することよりも、各場面の瞬間的な面白さを追求する方向に、演出がシフトしていた。

 日替わりパートもそうだし、他の人の話を聞いているときも、それぞれが何かしようと常に考えているのが伝わってきた。それぞれがバラバラに話を聞いているのではなくて、舞台の隅で小突き合ったり、それぞれが細かい動きを加えてみたり。それはそれで落ち着きがないなぁと思わないでもなかったけれども、「もやもや」の比重を抑えるという面では、かなり効果的だったので、好感を持った。

(2) 6月10日(3日目・オレンジの日)

 前日の「青の日」の芝居パート後に三浦くんの卒業が発表されたので、この公演が、卒業発表後、初の公演になった。

 観客側としては、前述した、ぜんハリと7人の刑事たちのシンクロニシティが提示され、『渡り鳥』の見方に大きな転換があった。このことによって、ステージ上の芝居に変化が生じるのか否か、というのが私が注目していたところだった。どちらが良い悪いということではなく、それが三浦くんの卒業という「事件」に対する今後の向き合い方を示すのではないか、という気がしていた。

 結論から言えば、驚くほど1日目と変わらなかった。というよりも、そうあるように努力していた。それはそれ、これはこれ、と切り離して演じているというよりは、そのシンクロニシティを冷静に受け入れ、今できる最大限のことをしなければならない、という緊張感があった。

 強くなったなぁと思った。それから、自分自身の彼らに対する向き合い方も、今後変化していくだろうなと思った。これについては、ライブパートの感想を書くときにでも。

 初演からの変更点もスムーズになっていて、かなり見やすくなっていた。

(3) 6月14日(6日目・紫の日)&(7日目・ピンクの日)

 初演時は紫は土曜日、ピンクは日曜日だったのだけれども、今回は土曜日が休演日で、日曜日にマチソワ2公演。便宜上、6日目、7日目と表記しましたが、同じ日の公演だったので、まとめて書いてしまいます。

 紫の公演が始まったときは、オレンジの日に感じた、冷静であろうという緊張感は薄れていて、お芝居をしているのが楽しいんだろうな、と思った。この日、舞台のうえでは、『渡り鳥』のテーマが見事に具現化されていた。

 7人でグループを続けるという、明日以降もずっと続くと思っていた楽しい「今」がやがて終わりを迎えることが判明し、その「今」が悲しいものになってしまったとしても、「今」を楽しむ。

 その姿勢は、物語の筋と関係なしに、この日の舞台のすべてに行き渡り、公演が進んでいくに従ってどんどん強くなっていった。それは決して、『渡り鳥』のテーマが「今を楽しむ」ことだったから、それをしようとしたというのではなく、彼らのなかで、ごくごく自然に芽生えた姿勢のように見えた。紫の公演を経て、ピンクの公演では、物語の筋を伝え「もやもや」を解き明かすという初演の趣旨が掻き消えるほどに、瞬間的な面白さを追求することに全力だった。それがゆえに小さなボロが出ることもあったけれども、それも御愛嬌になってしまう。これ以上やるとボロボロだな、という一歩手前の公演が千秋楽で良かった。

 5月10日にロンリーPASSIONが公開されて以降、それまでは下ネタに向かいそうになるだけでアウトだったので、わずか1ヶ月のあいだに、他メンバーに完全に密着するとか、股間を擦り付けるのまでOKになるとは思いませんでした。個人的に、一番アウトだと思ったのは、この日の千秋楽で三浦くんが御爺さん役をやったときの、深夜に苦しむ声。御馳走様でした。

(4) 総括

 というわけで、初演では、公演後「もやもや」を解き明かそうという気持ちが無きにしも非ずだったのに、再演のときは、他の人の台詞を聞いているときのちょっとした仕草や、日替わりパートの寸劇などが印象に残ったのもあって、まったく「もやもや」せずに楽しめた。

 初演では、3話が終わったあと、4話の予告編の映像が流れておしまい、という流れだった。再演では、4話の予告編映像のあとに、4話がチラリとステージ上で演じられ、5話の予告編映像が流れた。それも、あまり「もやもや」は残さず、銭のオジサマがフリルに迫られて、満更でもなさそうな顔をするのが可愛いかった。