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MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

2015年7月国立劇場 『第88回 歌舞伎鑑賞教室』

 演目は『義経千本桜』渡海屋と、大物浦。

 知盛の菊之助吉右衛門典侍の局の梅枝は玉三郎に教わっての、初役。

 菊之助が知盛を、と聴いたときはイメージが湧かなかった。実際に見てみると、台詞まわしや動きの至るところに吉右衛門っぽさがあった。登場時は菊之助らしく端正。相模五郎と入江丹蔵とのやりとり、舞台中央にどかりと座って2人をあしらう辺りは、あまり立派になってもいけないというバランス感覚が伝わってきた。上手屋台の障子を取り払って知盛になったときの登場シーンは、やや物足りなさもあったけれども、そこから退場に至るまでは、どことなく幽霊のような雰囲気。

 この作品、元の能の「船弁慶」では、知盛は幽霊になって出てきていて、『義経千本桜』でも、そのような台詞がある。でも、『義経千本桜』の知盛は、入水せずに潜伏していた、という設定になっている。だから、ここで幽霊っぽさがあるのはいけないような気もするし、でも、台詞の中身を考えると幽霊っぽさがある方が面白いような気もする。

 三度目に登場するシーンは、節まわしが吉右衛門らしさたっぷり。戦闘は力強くて見応えがある。しかし、「眼血走り、髪逆立ち」のあたりは「悪霊」と言えるほどの壮絶さはなかった。典侍の局が自害する姿を目の当たりにしたところは、驚きのあまり茫然、という感じで、これに続く三悪道の滔々と語られる悲愴感の重さといまいち繋がらない印象。しかし、平家一門の運命を受け入れて、自ら死を選ぶ姿、安徳帝を振り返りながら岩を登っていく姿、入水の瞬間までの緊迫感、凄味のある熱演だった。

 梅枝の典侍の局は、姿形がなんともそれらしくて雰囲気があった。けっこう間がもたなくなりがちなシーンでも、ちゃんと台詞を聞かせてくれたと思う。

 銀平が知盛の姿になったとき、女房は姿を変えないまま、典侍の局にならなければいけない。その後、十二単になって登場する。女房姿で中身が典侍の局になったときと、十二単になったときでも、切替はあるべきなのか、それとも、銀平が知盛になった瞬間に、完全にガラッと変えてしまうべきなのか。なんとなく、十二単になったときにも切り替えがあったような印象。知盛よりも典侍の局の方が地位が上なのだけれども、女房姿のときは、その位の高さは出ていなかった。

「いかに八大龍王」のくだりといい、全体的にアッサリしていた。もっと重々しい役だと思っていたけれども、そうでもないのかな。個人的には、平家一門の運命に身を委ねる覚悟と、天皇を守り通そうとする威厳と優しさ、表だって表現されない激情がある人のようなイメージ。とても難しい役だと読んだことがある。

 メインの2人については、こんなところ。ちょいちょい物足りなさはありつつ、凄まじい熱演ぶりに、思わず背筋が伸びました。