MEMOS

ちょっと書き留めたかったことなど。

甲状腺の片側をとった話

 5/23(月)に甲状腺左葉切除の手術を受けた。とりあえず記録。

<経緯>

 喉元に小さな膨らみが見つかったのは、半年ほど前にあった会社の定期健診だった。内科医の問診の際、「甲状腺に腫瘍があるのでは?」と開口一番に医師から指摘された。定期健診の問診というのは形式的なものだとばかり思っていたので、そこでなにか指摘されたことは驚きだった。一方、その数週間程前から喉に違和感はあったので、それがなんらかの異常によるものであることが分かり、どことなく安心した。
 甲状腺の専門医を受診するようにとの指示を受け、友人やその他の科の主治医、甲状腺に詳しい親戚にも話を聞いたうえで、国内でも指折りの専門病院を受診することになった。外来に行くたびに2,3時間以上待たされるのは辟易した。血液検査や細胞診の結果を受け、約5cmほどの濾胞性腫瘍が甲状腺左葉にできているとの診断がくだった。良性であればただの腫瘍だが、20-30%の可能性で悪性の腫瘍、つまり癌だという。正確に判断するためには、切除のうえ病理検査を経る必要があるという説明を受けた。大きさがそれなりにあること、甲状腺は左右に2つあり、片方のみでも十分に機能すると考えられることを踏まえて、切除することを勧められた。それなりの可能性で悪性だったら癌、という言葉に恐怖を感じたものの、親戚に訊いたところ、また、文献等を自分でも調べたところ、悪性の可能性は極めて低そうではあった。しかし、自然に治癒する類のものではなさそうなので、さっさと手術することにした。
 受診している病院では、手術までに半年程度待たされる。他の病院も検討はしたが、親戚によれば、いずれの大学病院と比較しても当該病院は扱った症例数が圧倒的に多いため、それ以外を検討する余地はないとのことだった。やむなく、その病院での手術を決めた。大部屋より個室の方が2ヶ月ほど早くに手術を行えるという状況だったので、迷わず個室を選択した。この病院の個室の差額ベッド代最低額が、都内でも屈指の高さだったのは、入院前日に知った。
 その後、CT検査や追加の血液検査を受ける。CT検査の結果は「切除にあたって問題はない」とのことだった。親戚によると、これは明らかなリンパ節転移、肺転移、骨転移はないものと思われる、ということを意味しているらしい。一方、血液検査の結果ではプロトロンビン値がやや高く、血液が凝固しにくい可能性があるとのことで、血液内科を受診するよう指示を受けた。明らかな異常値ではなく、正常値の設定範囲如何によって正常値として判断される程度の値だったので、血液内科では、手術にあたって問題はない旨の診断を受けた。昨今の外科は慎重になっていて、わずかな異常でも専門医の判断を仰ぐケースが多いようである。

 会社に手術のために休みが欲しい旨を伝えたところ、部門長から、癌と確定したわけではなく、癌の可能性があるだけなのになぜ手術をするのだと詰問された。余計なお世話である。こちらとしては、上司の意向により手術をするという意思決定を覆すつもりはないため、休みますの一点張り。

<手術前々々日>

 いったい何日前から入院しろというのだろう。13時に病院に到着。病棟内の過ごし方やスケジュールの確認、主治医(=執刀医)との挨拶。それ以外は暇。

<手術前々日>

 暇すぎて映画を観るばかり。
 午後は会社の同僚たちが遊びに来てくれた。
 お見舞いの品というと、生花はメジャーのように思えるけれども、私の入院している病院では衛生管理上、禁止されている。その旨を伝えていなかったので、申し訳ないことをしてしまった。お見舞いに来てもらうときは、そういうことをお伝えしないといけないのだなと反省した。日持ちがして、ちょっと摘めるお菓子などをいただいたのには心遣いを感じた。
 会社はようやく繁忙期が明けた頃合い。休暇中の私のもとにも引継ミーティングの予定が送られてくるので、薄々感じてはいたが、異動や退職の時期がやってきたようである。この日は、直近で退職者が1名、海外への出向が2名いると聞いた。退職する方の名前を聞いたとき、少なからず驚いた。上から期待され、仕事を多く任され、私にはとてもできないタフでストイックな働きぶりの人だった。自らの職責にプライドと充実感を見出しているのだろうなと思っていた人が、突然に退職届を提出する。よくあることだ。ボーナス支給の直前に退職するのだから、よほど辞めたかったのだろうか、などと邪推してしまう。

<手術前日>

 午後に夫が見舞いにくることは聞いていたのだが、予告もなしに弟が姿を現したのには驚いた。
 今春に漸く就職した弟は、なにやら新社会人にありがちなミスを連発しているらしい。気を付けるようにとか、前回の資料と同様にとか言われても、前回の資料がどこまで参考になって、どこを気を付ければよいのか、分からないと頭を抱えていた。
 そんなこんなの話をしているうちに、スープストックの差し入れとともに夫がやってきた。病院食が口に合わず、胃が空であるという感覚はあるのに食欲はなく、食べ物を口にすると一層食欲が失せるという辛い状況にあった。空の胃に食べ物が入って、空腹が実感できる、そういう食事は幸せだと思った。手術前日であるため、21時以降は禁食。
 弟になにか必要なものはないかと訊かれたので、めんつゆと塩胡椒を差し入れてもらった。これで病院食が多少緩和されそうである。
 入院してからの3日間で、『アイアンマン』から『アベンジャーズ』までの6作品を鑑賞。この日の晩から、レポートに手を付け、題材の選定、おおまかな流れを決めたところで就寝。

<手術当日>

 夕方からの手術であるため、午前中は暇。午後から確認等の準備が始まる。どうやら私の血管は細いらしく、1人目の看護師では点滴用の針を刺すのに適当な箇所を見つけられず、2人目の看護師に代わってようやく点滴用の針が刺さった。このあたりが一番心細かった。
 手術の時間に看護師が迎えにくるまでは、母と義母と3人で他愛もない話をしていた。手術直前、緊張のあまり血圧や体温が上がって手術が中止になることもあるそうなので、リラックスした状態で過ごすことができたのは、ずいぶんと助かった。
 術衣に着替えて歩いて手術室へ。ひとつめの小部屋には椅子が1脚置かれ、病室から私を引率した看護師と手術室看護師が本人確認を行う。奥の部屋に連れていかれると、いよいよテレビや映画などで見る手術室がそこにはあった。妙に面白くなって、手術台に乗りながら笑いがこみ上げてきて、「ドラマみたいですね~」と本音を漏らしたら看護師さんに笑われた。麻酔医の「薬を入れるときに、ちょっと沁みますね」という言葉の直後、あぁ意識が消える、睡眠薬とは違う、意識がかき消えていくような感覚だなぁと思った。その次の瞬間には、看護師さんの「これからストレッチャーで部屋に戻りますねー」という声を聞いた記憶が微かにある。ただ、部屋に戻る間の記憶はまったくなく、気が付いたときには病室のベッドに戻っていた。
 しばらくして、夫が病室に来たときのことは覚えている。手術後3時間は安静と言われていたので、時刻から逆算するに、手術が終わってから、そう経たない頃だったのではないか。酸素マスクをつけられていたのと、手術中に喉に管が通されていたのとで、口内と喉が渇ききっていてひどく息苦しい。喉元を切っているので、嚥下する際に首の皮が攣るような痛みもあり、ひどく不快だった。エコノミー症候群防止のためにつけられた脚のマッサージ機も重く、暑苦しい。左腕には点滴がつけられ、左手にはいつのまにか看護師に握らされたナースコールがあった。手術したのは喉だけだというのに、様々な機材がつけられていて、身体のどこを動かすことが許されるのか分からず、硬直せざるをえなかった。
 意識が断片的で、母と夫が「そろそろ帰ろうか」と漏らすたびに、心細くて、暑いだの痛いだの我儘を言い、しまいにはネタがなくなって夫を呼び続けた。安静状態も残り2時間ちょっと、というところで意識が一度途切れ、その隙を見計らって2人は帰ったようだった。9時過ぎに安静状態が解除され、飲水が可能になった。鎮痛剤と睡眠薬を服用し、ぼんやりしているうちには、脚のマッサージ機や酸素マスクもとられ、点滴も終わった。術衣からパジャマに着替えるかと看護師さんに訊かれたのだけれども、そんな気分にもなれず、明日にするようお願いし、初めてお手洗いに行くときはナースコールで呼ぶように指示を受けた。
 次に目が覚めたのは1時頃だった。思いのほか動ける気がしたので、看護師の指示を聞かなかったことにして、自力で着替え、お手洗いに行った。水を飲んでいいんだから、ジュースも問題ないだろう、翌朝には食事もできるしと、下階の自販機で果汁入り飲料、ミルクティ、炭酸飲料を買い込んで、あっという間にすべて飲み干した。日曜の21時以降は糖分の入ったものを口にしていなかったので、やたらと美味しく感じられた。甘いもの美味しいなと思って、勢いでチョコレートも食べた。さすがにこれはいかがなものかと些か気が咎めた。

<手術翌日>

 午前1時頃に目が覚めてから眠ることができなかったため、午前中に数時間程度昼寝をする。午前中に回診があった他、医師や看護師が適宜、傷の様子と傷口から繋がるドレーンの状態を確認していく。経過は良好らしく、予定どおり、翌日にはドレーンを抜くことができるようだ。
 食事はこの日から粥が出てくる。粥を食すにあたっては、弟に差し入れてもらっためんつゆが大活躍した。その他、胃に負担のなさそうなものなら食べてよいらしい。午後に母が来た際には、看護師の許可を得てスタバのフラペチーノを差し入れてもらった。許可なしでポテトチップスも食べている。甲状腺は消化機能には関係ないし、喉周辺に負担がかかるような噛み応えのあるものでなければ食べてもよいのではないかと勝手に判断した。
 前日の晩に、ベッドから起き上がる際に首を捻ることがないよう注意を受けていたため、昼過ぎまで首を極力動かすことのないよう過ごしていたら、夕方になる頃には傷の痛みよりも首肩の凝りが酷くなった。母と夫にマッサージをしてもらい、さらに、看護師に動かしてよい範囲を聞いてストレッチをする。どうやら真上を向くことさえしなければ、なんでもしてよいらしい。マッサージとストレッチを繰り返していたら、痛みがかなり緩和された。
 夜8時に就寝。10時、12時、2時と断続的に覚醒が続く。眠っていても無意識のうちに身体に力が入るらしく、特に腰周辺は筋肉痛に近い状態になっている。熱がやや高く、喉の違和感のせいか、ひどく喉が渇く。

<手術後2日目>

 就寝前に1錠服用したにも関わらず、深夜3時か4時頃にマイスリーを2錠追加した。1日10mgを超えないように服用する薬なのでODではあるが、なにせ入院中の身、やらねばならぬことなどないのだから、眠たければ好きなだけ眠ればよいのである。マイスリーの助けもあって、朝食まで眠ることができた。朝食後も夢現の状態で布団でごろごろしていたら、医師がやってきてドレーンを抜いていった。断続的に眠り、昼食を看護師が持ってきたことには気が付いていたのだが、うっかり寝過ごし、目が覚めたときには下膳の時刻を過ぎていた。妙に発汗量が多く、何度か着替えた。
 午後には傷口から下はシャワーを浴びることが許された。ストレッチをしながら午後はのんびりと過ごした。傷の痛みは緩和されてきたものの、むず痒さを感じ、たびたび咳き込む。水や間食で適宜ごまかす。夜10時頃に一度は就寝したものの、喉の違和感のせいか眠りが浅く、眠気はあるものの落ち着かない。しかし、時間を追うごとに回復している実感があるため、楽観的に構えている。

<手術後3日目>

 この日から通常食が供される。
 洗髪の許可もおり、お風呂の掃除が終わると同時に浴室に飛び込んだ。
 午前中に医師から手術の説明を受けた。手術に要した時間は52分、出血量は10ml程度、計画通りの手術のようだった。入院した日に、血液検査でHIVの陽性反応が出ていると言われ、再検査を受けた結果が返ってきていた。感染していないけれども、陽性反応が出てしまう偽陽性であるとのことだった。お騒がせである。次の通院は1ヶ月後。経過は順調そうなので、1ヶ月もすればウエイトトレーニングやダイビングもOKとのことだった。今年の夏はダイビングに行けないと半ば諦めていたので、ダイビングに行ってもよいと聞いて喜び勇んで部屋に戻り、布団に潜りこんだらハワイに行く夢を見た。昼食の時間まで夢の余韻を愉しんでいたら、夜眠れなくなるから起きろと看護師に叱られた。
 午後には経鼻内視鏡で声帯の動きに問題がないことを確認した。
 翌日には退院の予定。