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ちょっと書き留めたかったことなど。

映画『ローガン』

 来日したヒュー・ジャックマンが「ローガンが老眼鏡」というギャグににこやかに付き合っている姿が魅力的だったので観に行った。『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』と『ウルヴァリン:SAMURAI』は事前に観に行ったけれども、X-MENシリーズの本筋はまだ観ていない。設定だけはなんとなく把握してから行った。ウルヴァリンの前2作品がわりと微妙だったので、まったく期待せずに行ったのだが、ロードムービーだったり西部劇だったりヒューマン・ドラマだったりメタフィクションだったり、さまざまな要素が詰め込まれた満足感のある作品になっていた。

 ネタバレる。

 老いてミュータントとしての能力が衰えつつあるローガンが、自分の遺伝子を継ぐ少女ローラと出逢い、救済へと導かれる物語。

 ローラは研究所で生まれたミュータントで、研究所での開発の終了により殺されそうになったところを逃走。ノースダコタにあるという「エデン」で仲間たちと落ち合って、カナダとの国境を越えようとしている。ローガンとローラは、メキシコ国境付近のエルパソで出逢い、老いたチャールズを伴ってエデンを目指して逃避行をすることになる。

 アメリカのロードムービーというと、伝統的には東から西へと旅するものだけれども、この作品では南から北への旅路が描かれる。地図でいう下から上への移動は、地上から天界への移動であることを暗に示しているのだと思う。

 彼らが目指すエデンは、ローラが所持していたX-MENのアメコミ誌で目指されていた楽園である。ローガンは、X-MENの物語は事実に基づいているが、物語にすぎないのだとエデンの存在を否定する。しかし、ローガンとローラは逃避行の末、仲間の待つエデンに到達する。そして彼は、ローラと仲間たちを追撃者から守るために戦い、死を迎えることになる。それまでほとんどコミュニケーションを拒否していたローラが、ローガンの死の間際、彼をDaddyと呼び、彼は家族の愛を知ることになる。ローガンはアメコミ誌に描かれた自分たちの物語を否定するけれども、その物語によって救済されるのだ。滾る。(メタフィクション大好き)

 ローガンは、この作品では殺されかけた少女を救うという正義漢の役割を果たしている。しかしながら、作中では、かつて制作されたという西部劇の一節を引用し、一度でも人を殺した者は、殺人者としての烙印を押されるのであると強調する。作中でのその他の行動をとっても無法ぶりはかなりのもの。ヒーローであることと、品行方正な聖人君子であることは必ずしも一致しない。しかし、西部劇というアメリカのアメコミ以上に古いヒーロー像を持ち出すことで、ローガンのヒーロー性は強化されているように思う。アンチヒーロー性とヒーロー性の混沌を描いている……のかもしれないけど。X-MENシリーズの本筋を観ないと分からないので、この辺はちょっと曖昧。ただ、西部劇を引用することで、そもそもヒーロー性とはなんぞや、という問いかけをしているのは確かだと思った。

 最も切なかったのは、ローガンの墓前で、一度でも人を殺した者は、殺人者としての烙印を押されるのであると唱えるローラや、彼女の仲間たちが、既に殺人を犯してしまっているということ。エデンの地をあとにする彼らは、知恵の実を食べてしまったアダムとイブのように原罪を背負わされているのだから。MARVEL映画のお約束である、エンディングに挿入されるエピローグがないのも切なく、かえって映画の余韻を感じさせる。

 難しいこと抜きにして、衰えゆく中年と強気な少女の組み合わせ、肉が抉れ首が掻き切られる豪快さは最高でした。未見の作品も観たい。